犯罪に多用される催眠術

日本では、催眠術はショーとしての意味合いが強いため、医療手段としての認知が小さいです。しかし、犯罪には多用されているのが現状です。
犯罪者はそれが「催眠法」であることを認識してない場合も多いのですが、十分認識している事件が増えています。時折、「集団催眠」ではなかったか。とされる事件があります。この事件をある種の催眠状態とする考えのグループもありますが、「集団心理」と位置づけられています。
この状態が解除されずに行われる大規模な犯罪が「戦争」ではないでしょうか。小さな規模では、「商品不当高額売りつけ」などの詐欺行為があります。
集団心理は非常に効果が高く、かつ、意図しない出来事が起こることもあります。危険な方向へのパニック行動や、偶発的サブミナル効果などが事件となったこともあります。
意図的なサブミナル効果で商品を売ったことが発覚した事件は、アメリカ合衆国でありました。映画館で、映画の上映中、コカ・コーラとポップコーンを買うよう、誘導する「コマ」が仕掛けられた事件です。後、取り締まる法律が作られました。販売戦略ではなく、実験だったことが判っています。

現場日本では、大衆を一箇所に集め出口を閉ざして、高速で大量に品を破格な安値で売りつけ、会場の客たちから価値判断を消去したのち、高額商品購入の契約をさせる詐欺が多発しました。被害者は、契約行為だけで現金を介さないことから、購買意識が出現しなかったのです。

最近の犯罪では、「オレオレ詐欺」、「振り込め詐欺」がこれに近いと考えられます。ほとんどの被害者は、「私は被害には遭わないと思っていた。」と発言していることから、少なくとも「強い暗示による覚醒状態行動の誘導」を匂わせます。

1997年の暮れにあった、人気テレビ漫画アニメで起こった「ポケモン・ショック」は、催眠ではありません。青、黄の画面明滅による感覚収斂現象です。視覚、聴覚に神経が集中しているときに、対色を交互に発光させたためのショックです。視覚と重力のアンバランスによる乗り物酔いに似ています。

悲しい史実で、体験者はまだ多勢ご健在ですが、「大東亜戦争(太平洋戦争)」は集団心理の極みでしょうか。
現代、反省することは、「首謀者探し」として戦争犯罪特別法廷「東京裁判」が行われたこととされています。関係者を極限することにより、自己否定を避けた。とする考え方です。
集団心理の暴走は、首謀者が意図して行わる場合もありますが、偶発的に起こることもあるのです。パニックがその状態です。

戦争も、人類のパニックと言えるのでしょうか。

意図的な集団催眠は人類最悪の犯罪

「マントラ」や「念仏」は無意味な短い音節です。「いや、意味はある。」といっても、サンスクリット語を解せない者には無意味です。文字はその音に当てた文字であって、「南」だとか「無」だとかに日本語の意味はありません。この無意味な音節を視界を遮断して、繰り返し長時間発声することにより、「瞑想」に入ることができます。思考停止です。口蓋系筋肉や、声帯へ発声するための脳からの命令は、継続されることにより、その運動は命令がなくても続けている状態に入ります。これは、命令により実行されているのではないので、停止するには、「停止命令」が口蓋、声帯筋肉に指令される必要があります。つまり、自ら新たに「停止命令」を作り、関係各部に指令するか、外部から停止命令を受けるかがないと、「停止と言う動作」が実行されないのです。

この状態を望むならば、それは、本人にとって幸福です。しかし、望んでいないなら、危険です。

1995年3月、東京都心地下鉄で大変な事件がありました。事件実行犯が「鬼」に返信していたのです。自ら望んで鬼になったなら、「死刑」です。

瞑想私は、近年、メンタル系の故障があって、回復の可能性追求の一つとして、「座禅」を試しました。仏法に対する畏怖、信心を持ち合わせていないため、仏教信徒の方には無礼な発言があるかもしれませんが、そこはお許し下さい。

体験をして、率直に「効果絶大」でした。座禅は座るだけです。だから、お寺では、「今度も座りに来ますか?」と尋ねられました。正に座るのみです。それ以外がないのです。座禅はそういうもので、お坊様が、仏前で教を唱えながら座っているのとは違います。お経を記憶されていらっしゃるので、自ら発声できます。「お題目」や「南無阿弥陀仏」は短いので誰でも発声できるのですが、座禅は、発声の代わりになる自己コントロール外の刺激として、「香(線香)」が用いられます。腹式呼吸を意識するだけです。その呼吸自体も、香に溶け込んで、瞑想に入れます。

座っているときは、前半、瞑想に入りたいと言う意識に支配されています。香りも感じます。後半は無意識です。眠ってしまって、グラっと体が動くと、肩を「ピシッ」と頂いて、また、瞑想に入るのです。

「何も考えないこと」の時間を経た直後は非常に休まります。表現が正しいかどうかはわかりませんが、脳が溶けたような気分でした。気持ちいいのです。残念ながら、持続しません。数分程度でした。